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俳人。実業家。伊予郡西垣生村(現松山市)出身。本名は半太郎。正岡子規、内藤鳴雪の指導を受け、『ほとゝぎす』に参加、選者となる。漢詩に俳句で唱する転和吟を創始、さらに絵に俳句を配する題画吟もはじめ「業余俳諧」を主唱し、俳句の伝統性に新生面を開いた。実業家としては、伊予農業銀行、愛媛県信用組合連合会を設立し、経済界でも活躍をしたが、昭和の恐慌では責任を負い私財を投げ出した。
略歴
| 明治2(1869)年8月8日 |
伊予郡西垣生村今出(現松山市)に生まれる。 |
| 明治19(1886)年 |
愛媛県第一中学校(現松山東高等学校)を卒業し、第一高等学校に入学。 |
| 明治24(1891)年 |
叔父急死のため、退学し今出絣株式会社の社長になる。 |
| 明治28(1895)年 |
子規・漱石たちと俳句を作りあう。 |
| 明治30(1897)年 |
伊予農業銀行をつくり頭取となる。今出吟社をつくる。 |
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『ほとゝぎす』に参加、選者となる。 |
| 大正2(1913)年 |
愛媛信用組合連合会を結成し、会長となる。 |
| 大正9(1920)年 |
転和吟を始める。 |
| 昭和3(1928)年 |
銀行の返済のため全財産を投げ出し、責任をとる。 |
| 昭和6(1931)年 |
『霽月句集』を刊行する。 |
| 昭和8(1933)年 |
題画吟をはじめ「業余俳諧」を主唱。 |
| 昭和21(1946)年2月15日 |
78歳で永眠。墓所は松山市西垣生の長楽寺。 |
<関連図書>
- 鶴村松一『村上霽月』 松山郷土史研究会 1981年
- 愛媛子どものための伝記刊行会『愛媛子どものための伝記 第14巻『村上霽月・松根東洋城・石田波郷』 愛媛県教育会 1986年
- 今出国勝『垣生のあゆみ』 垣生公民館 1988年
- 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 人物』 愛媛県 1989年
(写真提供:松山市立子規記念博物館)
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