| 明治20(1887)年12月1日 |
越智郡大山村字泊(現今治市吉海町)に重松藤太の二男として生まれる。 |
| 明治36(1903)年 |
愛媛師範学校に入学。愛媛師範俳句会で村上霽月に指導を受ける。 |
| 明治42(1909)年 |
大山村余所国(現今治市宮窪町)の村上チカエの婿養子となり村上家を継ぐ。 |
| 明治43(1910)年 |
余所国小学校校長となる。 |
| 大正8(1919)年 |
弓削小学校校長に転勤する。 |
| 大正10(1921)年 |
『渋柿』の同人となり、投稿を始める。 |
| 昭和2(1927)年 |
『壺天子句集』を刊行。 |
| 昭和4(1929)年 |
松山市の余土小学校校長となる。 |
| 昭和13(1938)年 |
松山市の余土小学校校長を辞任する。 |
| 昭和20(1945)年 |
戦災に遭い、大島の余所国に帰る。 |
| 昭和24(1949)年 |
松根東洋城を大島に迎え、数日間自炊生活をおこなう。 |
| 昭和28(1953)年 |
第1回個展を今治で開く。再び松山に帰る。 |
| 昭和46(1971)年 |
県立美術館で武者小路実篤、小川千甕と三人で寿老三人展を開く。 |
| 昭和59(1984)年12月26日 |
97歳で永眠。 |