愛媛の偉人・賢人の紹介
水野 広徳 みずの ひろのり (1875〜1945)

 軍事評論家。軍人。和気郡広町(三津町と総称された港町の一部、現松山市)出身。日露戦争の旅順口閉塞や日本海海戦に参加。軍人としての活動のかたわら、軍事関係の著述活動も行う。明治44年に出版した『此一戦』は、桜井忠温の『肉弾』とともに戦記文学の双璧とされ、広く読まれた。第一次世界大戦直後にヨーロッパへ留学した際、現地での惨状を目の当たりにし、人道的平和主義者へと思想的な大転換を遂げる。その後ほどなく退役するが、退役後も筆を休ませることなく、太平洋戦争に向かう社会情勢の中で、日米の対立激化を憂慮するような著述を出し続けた。

略歴
明治8(1875)年5月24日 和気郡広町に、旧松山藩士水野光之の次男として生まれる。
明治31(1898)年11月 海軍兵学校を卒業。
明治37(1904)年 日露戦争下において、旅順口閉塞に参加。
明治38(1905)年5月 日本海海戦に参加。
明治44(1911)年3月 日露戦争の経験から『此一戦』を執筆し刊行。
大正2(1913)年 日米戦争仮想記「次の一戦」を原稿として書き上げるが、時局柄発表を見合す。
大正3(1914)年 『次の一戦』を「一海軍中佐」のペンネームで単行本として出版するが、内容が問題となり、また著者の実名も発覚し、無許可出版のため謹慎を命じられ、同書は絶版となる。
大正5(1916)年 第一次世界大戦戦時下の欧米へ私費で留学。
大正8(1919)年 第一次世界大戦直後のヨーロッパへ再度私費で留学。
大正10(1921)年8月 退役。
昭和7(1932)年10月 日米戦争仮想記『興亡の此一戦』を出版するが、内容が問題となり発売禁止となる。
昭和12(1937)年2月 『日本名将論』を出版するが、以降監視が厳しくなり、著作の刊行が困難になる。
昭和20(1945)年4月3日 越智郡津倉村本庄(現今治市吉海町)に疎開。
            10月18日 腸閉塞を起こし、今治市の病院で71歳で永眠。墓所は松山市蓮福寺。

<関連図書>

  • 水野広徳著作刊行会『反骨の軍人 水野広徳』 経済往来社 1978年
  • 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 文学』 愛媛県 1984年
  • 愛媛子どものための伝記刊行会『愛媛子どものための伝記 第12巻 秋山好古・真之・桜井忠温・水野広徳』 愛媛県教育会 1985年
  • 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 人物』 愛媛県 1989年
  • 『日本平和論大系7 水野広徳・松下芳男・美濃部達吉』 日本図書センター 1993年
  • 前坂俊之『海軍大佐の反戦』 雄山閣出版 1993年
  • 前坂俊之・粟屋健太郎『水野広徳著作集』 雄山閣出版 1995年
  • 河田宏『第一次世界大戦と水野広徳』 三一書房 1996年
  • 大内信也『帝国主義にNOと言った軍人 水野広徳』 雄山閣出版 1997年
(写真提供:松山市立子規記念博物館)

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