| 明治14(1881)年4月6日 |
周布郡新屋敷村(現西条市小松町)に生まれる。 |
| 明治28(1895)年 |
松山中学校(現松山東高等学校)に入学。俳句を始める。 |
| 明治31(1898)年 |
万葉集を筆写した。『心の花』に短歌を投じた。 |
| 明治33(1900)年 |
上京。国学院と国語伝習所に学ぶ。子規を訪ねる。根岸短歌会に出て、伊藤左千夫を知る。 |
| 明治35(1902)年 |
全日本歌学会の幹事となる。子規の看護当番を引き受ける。 |
| 明治36(1903)年 |
『短歌小梯』を刊行。伊藤左千夫と『馬酔木』を創刊する。後に左千夫とあわず、『馬酔木』から去る。 |
| 明治37(1904)年 |
新聞「日本」に入社。『馬酔木』に復帰。 |
| 明治39(1906)年 |
『万葉私刪』を刊行。 |
| 明治44(1911)年 |
剃髪得度した。政教社に復帰し、『日本及日本人』の記者になった。 |
| 大正6(1917)年 |
衆議院選挙に立候補した押川方義と河上哲太の応援のために、五百木飄亭、寒川鼠骨らと帰郷。 |
| 大正13(1924)年 |
根岸短歌会を復活した。 |
| 昭和7(1932)年 |
「石鎚百首」を発表。 |
| 昭和14(1939)年 |
「老の歯がみ」を発表。 |
| 昭和15(1940)年1月8日 |
60歳で永眠する。 |