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俳人。松山・松平家第4代藩主。江戸(現東京都)の今治藩邸に生まれる。度重なる天災の災害復旧と財政の立て直しのため、潅漑土木に藩費を投入し農業生産の安定化を図るとともに、定免制を復活させ、地坪制を遂行し、経済を安定させた。また、積極的に儒学の興隆を図ることで、松山を中心とする地方文化の発展を促した。自ら、和歌・俳諧をたしなみ、特に其角や嵐雪など江戸俳人の指導を受け、句作に興ずることが多かったことから、藩士の中から粛山・(青地)彫棠のような俳人が現れ、俳諧をたしなむ藩風を生んだ。
略歴
| 万治3(1660)年1月19日 |
江戸(現東京都)の今治藩邸において今治藩主松平定時の長男として生まれる。 |
| 延宝2(1674)年4月7日 |
松山藩主松平定長の養子となり、家督を相続。 |
| 延宝7(1679)年2月9日 |
税制改革についての「新二十五ヵ条」を藩内に公布。 |
| 貞享2(1685)年 |
儒者の大高坂芝山を招き、学問の振興に着手する。 |
| 貞享4(1687)年 |
京都稲荷神社の神官、大山為起を招く。 |
| 元禄15(1702)年 |
吉良邸襲撃事件を起こした赤穂浪士の身柄を江戸の松山藩邸に預かる。 |
| 享保5(1720)年10月25日 |
61歳で永眠。墓所は、松山市味酒町大林寺。 |
<関連図書>
- 景浦勉『伊予俳諧史』 伊予史談会 1958年
- 星加宗一『愛媛文化双書23 伊予の俳諧』 愛媛文化双書刊行会 1975年
- 野沢象水『予松御代鑑』 伊予史談会 1983年
- 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 文学』 愛媛県 1984年
- 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 近世上』 愛媛県 1986年
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