| 天正15(1587)年 |
尾張国知多郡英比郷(現愛知県)の阿古居城を本拠とする松平(久松)家の一族、松平定勝の次男として、三河国宝飯郡西郡に生まれる。 |
| 慶長12(1607)年閏4月 |
定勝から遠江国(現静岡県)掛川3万石の領地を譲られ掛川城主となる。 |
| 元和3(1617)年7月 |
定勝が伊勢国(現三重県)桑名11万石城主となり、それに伴い定行も桑名に移る。 |
| 寛永元(1624)年6月5日 |
定勝の没後、領地を相続し桑名城主となる。 |
| 寛永12(1635)年7月28日 |
松山15万石城主となる。 |
| 寛永14(1637)年11月 |
島原の乱が起こり、松山藩からも幕府軍として軍勢を送る。 |
| 寛永15(1638)年 |
道後温泉の整備を行う。 |
| 寛永16(1639)年 |
松山城天守閣の五層から三層への改築に着手。同19年に完成。 |
| 正保元(1644)年1月 |
長崎警備を命じられ長崎に屋敷を与えられる。 |
| 正保4(1647)年7月16日 |
6月に長崎にポルトガル船が来航したことから、警戒のため長崎に軍勢を率いて入る。8月には何事もなく帰国の途に着く。 |
| 万治元(1658)年2月27日 |
家督を嫡子定頼に譲って隠居。江戸より帰国し、隠居所として東野御殿の建設にかかる。3年後に完成。 |
| 寛文8(1668)年10月19日 |
82歳で永眠。墓所は松山市祝谷常信寺。 |