愛媛の偉人・賢人の紹介
松平 定行 まつだいら さだゆき (1587〜1668)

 松山・松平家初代藩主。三河国宝飯郡西郡(現愛知県)出身。伊勢国(現三重県)桑名城主を経て、寛永12年、松山藩主となる。以来、道後温泉の施設の充実や、松山城天守閣の改修、筍や茶の栽培などの殖産興業政策を進め、松山藩の基礎を作った。隠居後、松山の東方温泉郡東野村(現松山市)に別荘を建設し、千宗庵に命じて数寄屋と庭園を作らせ、東野御殿と呼んだ。

略歴
天正15(1587)年 尾張国知多郡英比郷(現愛知県)の阿古居城を本拠とする松平(久松)家の一族、松平定勝の次男として、三河国宝飯郡西郡に生まれる。
慶長12(1607)年閏4月 定勝から遠江国(現静岡県)掛川3万石の領地を譲られ掛川城主となる。
元和3(1617)年7月 定勝が伊勢国(現三重県)桑名11万石城主となり、それに伴い定行も桑名に移る。
寛永元(1624)年6月5日 定勝の没後、領地を相続し桑名城主となる。
寛永12(1635)年7月28日 松山15万石城主となる。
寛永14(1637)年11月 島原の乱が起こり、松山藩からも幕府軍として軍勢を送る。
寛永15(1638)年 道後温泉の整備を行う。
寛永16(1639)年 松山城天守閣の五層から三層への改築に着手。同19年に完成。
正保元(1644)年1月 長崎警備を命じられ長崎に屋敷を与えられる。
正保4(1647)年7月16日 6月に長崎にポルトガル船が来航したことから、警戒のため長崎に軍勢を率いて入る。8月には何事もなく帰国の途に着く。
万治元(1658)年2月27日 家督を嫡子定頼に譲って隠居。江戸より帰国し、隠居所として東野御殿の建設にかかる。3年後に完成。
寛文8(1668)年10月19日 82歳で永眠。墓所は松山市祝谷常信寺。

<関連図書>
  • 景浦勉『松山城史』 伊予史料集成刊行会 1939年
  • 『松山城』 松山市観光協会 1970年
  • 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 近世上』 愛媛県 1986年
  • 藩主人名事典編纂委員会『三百藩藩主人名事典 第4巻』 新人物往来社 1986年
  • 愛媛子どものための伝記刊行会『愛媛子どものための伝記 第15巻 伊達宗城・久松松平家の人々・土居清良』 愛媛県教育会 1987年
  • 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 人物』 愛媛県 1989年
  • 井上宗和『四国の城と城下町』 愛媛新聞社 1994年
  • 景浦勉『松山藩政史の研究』 関奉仕財団 1994年

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