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県人初の大蔵大臣。松山城下の御宝町(現松山市)出身。帝国大学法科大学(現東京大学)卒業後、大蔵省に入省。退官後、貴族院議員に勅選され、寺内正毅内閣で県人初の大蔵大臣に就任した。その後、清浦奎吾内閣で再度大蔵大臣、田中義一内閣で文部大臣に就任した。正岡子規や秋山真之の親友であり、宰州と号して句作にも励んだ。
略歴
| 明治2(1869)年9月15日 |
松山城下の御宝町に松山藩士勝田久廉の五男として生まれる。 |
| 明治16(1883)年 |
松山中学校(現松山東高等学校)を卒業。在学中に、正岡子規・秋山真之らと親交を深める。 |
| 明治28(1895)年7月 |
帝国大学法科大学を卒業して、大蔵省に入る。 |
| 明治34(1901)年 |
2年間ヨーロッパに派遣される。 |
| 大正元(1912)年12月 |
大蔵次官となる。 |
| 大正3(1914)年 |
貴族院議員に勅撰される。 |
| 大正5(1916)年12月 |
寺内正毅内閣において、愛媛県人初の大蔵大臣となる。 |
| 大正13(1924)年1月 |
清浦奎吾内閣において、再度大蔵大臣となる。前年発生した関東大震災からの復興にあたる。 |
| 昭和3(1928)年5月 |
田中義一内閣において、文部大臣となる。 |
| 昭和23(1948)年10月10日 |
80歳で永眠。 |
<関連図書>
- 勝田竜夫『中国借款と勝田主計』 ダイヤモンド社 1972年
- 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 人物』 愛媛県 1989年
(肖像画:愛媛県立松山東高等学校蔵)
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