愛媛の偉人・賢人の紹介
種田 山頭火 たねだ さんとうか (1882〜1940)

 俳人。山口県佐波郡西佐波令村(現防府市)出身。本名正一。熊本の報恩寺で禅の修業をし、出家して見取観音堂の堂守となったが、1年余でこれを捨て行脚に出る。俳句を荻原井泉水に師事し、自由律俳句誌『層雲』に出句。九州・中国などを中心に全国各地を行脚した後、一時山口県吉敷郡小郡町の其中庵に居住したこともあるが、晩年は松山市の御幸寺門外の一草庵に入る。この一草庵で「ころり大往生」を遂げて急死するまでに、約16,500余の優れた作品を残した。漂泊の俳人として知られる。

略歴
明治15(1882)年12月3日 山口県佐波郡西佐波令村(現防府市)第136番屋敷で、種田竹治郎の長男として生まれる。
明治37(1904)年2月 早稲田大学文学部を神経衰弱のため中退。7月に帰郷。
大正2(1913)年 荻原井泉水に師事し、『層雲』に投句を始める。
大正5(1916)年4月 種田家が破産。妻子を連れて熊本市に移る。
大正8(1919)年10月 単身東京に出る。一時、東京市職員にもなる。
大正12(1923)年 熊本へ帰る。
大正14(1925)年2月 報恩寺で出家。
             3月5日 熊本県鹿本郡植木町味取の観音堂(瑞泉寺)の堂守となる。
昭和2(1927)年 四国霊場を巡礼する。そのまま、同4年まで中国・北九州地方を行脚。
昭和5(1930)年 九州・山口を行脚。旅先で多くの句を作る。(同7年まで)
昭和7(1932)年9月20日 行脚の末、山口県吉敷郡小郡町矢足に其中庵を作り居住。
昭和10(1935)年 北九州地方から関東甲信越・東北・北陸と行脚して回る。(翌11年まで)
昭和13(1938)年11月28日 其中庵が崩れたため、湯田温泉の風来居に移り住む。
昭和14(1939)年9月27日 四国霊場巡礼の旅に出る。
            12月15日 松山市の御幸寺門外の一草庵に居住。
昭和15(1940)年10月11日 前夜開かれた「柿の会」の後泥酔して眠り、早朝心臓麻痺により59歳で永眠。墓所は山口県防府市報国寺。

<関連図書>
  • 種田山頭火『草木塔』 八雲書林 1940年
  • 種田山頭火『定本山頭火全集』 春陽堂書店 1972〜73年
  • 大山澄太『俳人山頭火の生涯』 彌生書房 1983年
  • 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 文学』 愛媛県 1984年
  • 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 人物』 愛媛県 1989年
  • 愛媛子どものための伝記刊行会『愛媛子どものための伝記 第19巻 高浜虚子・河東碧梧桐・種田山頭火』 愛媛県教育会 1989年
  • 鴻池楽斎・稲垣恒夫『精選山頭火遺墨集』 思文閣出版 1993年
  • 大山澄太『山頭火著作集』 潮文社 1996年
  • 愛媛新聞社出版局出版部『郷土俳人シリーズ6 種田山頭火』 愛媛新聞社 1998年
(写真提供:松山市立子規記念博物館)

愛媛県生涯学習センター振興課:TEL 089-963-2111(内線110)
掲載情報の無断転載を禁じます。