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軍人。小説家。松山城下の小唐人町(現松山市)出身。陸軍士官学校を卒業後、日露戦争に従軍した。旅順を攻撃したときの戦闘で重傷を負い、療養中に実戦体験を記した『肉弾』を執筆し、戦記文学の先駆けとして広く読まれた。また、世界14カ国語に翻訳され、日本が肉弾をもって戦勝をかち得た経緯を世界に紹介した。その後、軍隊に所属しながら、また、予備役編入後も多くの著書を著した。画技にも秀でており、その絵は格調高く雅味ある画風と評された。
略歴
| 明治12(1879)年6月11日 |
松山城下の小唐人町(現松山市)に生まれる。 |
| 明治34(1901)年 |
陸軍士官学校を卒業。 |
| 明治37(1904)年4月 |
日露戦争に、少尉、歩兵第22連隊の連隊旗手として従軍。 |
| 8月 |
歩兵中尉に昇進(旗手の任務を解かれる)。 |
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第12中隊小隊長として、旅順第一次攻撃に参加。旅順口望台での戦闘で右手のほか、各所に重傷を負い、入院。 |
| 明治38(1905)年6月 |
歩兵第22連隊補充大隊へ復帰し、中隊長を命じられる。 |
| 8月 |
陸軍経理学校生徒隊長を命じられる。 |
| 明治39(1906)年 |
『肉弾』を刊行。 |
| 明治41(1908)年 |
歩兵大尉に任ぜられる。 |
| 大正2(1913)年 |
『銃後』を刊行。 |
| 大正5(1916)年 |
歩兵少佐に任ぜられる。 |
| 大正10(1921)年 |
歩兵中佐に任ぜられる。 |
| 大正13(1924)年3月 |
陸軍省新聞班長を命じられる。 |
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歩兵大佐に任ぜられる。 |
| 昭和5(1930)年8月 |
陸軍少将に任ぜられ、予備役に編入される。 |
| 昭和34(1959)年 |
松山へ帰住。 |
| 昭和40(1965)年9月17日 |
86歳で永眠。墓所は松山市の鷺谷墓地。 |
<関連図書>
- 木村久迩典『錨と星の賦』 新評社 1980年
- 愛媛子どものための伝記刊行会『愛媛子どものための伝記 第12巻 秋山好古・真之・桜井忠温・水野広徳』 愛媛県教育会 1985年
- 愛媛県百科大事典編集委員室『愛媛県百科大事典』 愛媛新聞社 1985年
- 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 人物』 愛媛県 1989年
- 木村久迩典『帝国軍人の反戦』 朝日新聞社 1993年
(写真提供:松山市立子規記念博物館)
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