愛媛の偉人・賢人の紹介
坂上 羨鳥 さかうえ せんちょう (1653〜1730)

 俳人。庄屋。宇摩郡中之庄村(現四国中央市中之庄町)出身。本名は半兵衛正閑。松山・今治・丸亀・高松など、諸藩の御用金調達方を務めており、仏道信仰と商用を兼ね上坂した際、言水・団水・才麿ら上方談林派の指導を受ける。句集『簾』、『たかね』、『花橘』を刊行し、その親交は談林派のみならず、貞門派、新風の蕉門にまで広がる。また、信仰心も厚く、河内国清水村(現大阪府)地蔵院の蓮体を尊敬し、中之庄村持福寺をはじめ、河内国地蔵院や讃岐国(現香川県)金毘羅宮など、多くの寺社に寄進を続けた。

略歴
承応2(1653)年 宇摩郡中之庄村鶴屋敷(現四国中央市中之庄町)に生まれる。
延宝5(1677)年 惟中編『俳諧三部抄』刊行。羨鳥の句が収められている。
延宝7(1679)年 坂上一族で中之庄に薬師如来奉納。
元禄6(1693)年 中之庄の持福寺に梵鐘及び鐘楼奉納。
元禄8(1695)年 三島大明神に神門寄進。
元禄9(1696)年 『簾』を編集し、刊行。羨鳥の句が収められている。     讃岐の金毘羅宮へ灯篭奉献。
元禄14(1701)年 『たかね』上中下を編集し、刊行。羨鳥の句が収められている。
宝永元(1704)年 持福寺へ客殿建立。
宝永2(1705)年 讃岐(香川県)の金毘羅宮へ手水鉢奉献。
宝永4(1707)年 河内(現大阪府)の蓮体和尚を招き、阿波(現徳島県)の持明院で講義を開き、持福寺で供養の大法要を行う。
正徳3(1713)年 『花橘』上下を編集し、刊行。羨鳥の句が収められている。
享保5(1720)年 河内国清水村地蔵院本堂、持福寺宝蔵建立。
享保10(1725)年 讃岐国大野原村萩原地蔵院本堂建立。同寺へ曼荼羅など奉納。
享保15(1730)年7月5日 78歳で永眠。

<関連図書>

  • 景浦勉『伊予俳諧史』 伊予史談会 1958年
  • 星加宗一『愛媛文化双書23 伊予の俳諧』 愛媛文化双書刊行会 1975年
  • 新居浜市史編纂委員会『新居浜市史』 愛媛県新居浜市 1980年
  • 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 文学』 愛媛県 1984年

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