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俳人。商人。吉田(現宇和島市吉田町)を中心に活動した人。淡々門の主要俳人富天に師事し、椎本芳室編の『妻戸埜波那』に連句を定雄、恩竹とともに寄せている。伊勢神宮などへの紀行『存のほかの日記』を残し、吉田に淡々流を広めた。
略歴
| 生 年 不 詳 |
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| 元文5(1740)年 |
富天編『押花宴』刊行。狸兄の句が収められている。 |
| 寛保2(1742)年 |
富天が吉田に来遊し、もてなす。 |
| 寛保3(1743)年 |
芳室編『妻戸埜波那』刊行。狸兄の連句が収められている。 |
| 延享元(1744)年 |
蛙井編『頭陀袋』に淡々とともに序を寄せる。 |
| 宝暦3(1753)年 |
竿秋編の淡々80歳の賀集に11句収められている。伊勢神宮参拝後、東海道、越後から軽井沢を旅する。 |
| 宝暦4(1754)年 |
『存のほかの日記』刊行。 |
| 宝暦12(1762)年 |
永眠。 |
<関連図書>
- 愛媛県史編さん委員会 『愛媛県史 文学』 愛媛県 1984年
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