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俳人。政治運動家。温泉郡小坂村(現松山市)出身。本名良三。小学校に入学後、漢籍を河東静渓塾で学ぶ。18歳のときに大阪に出て、翌年医術開業試験に合格した。その後、東京に遊学した際に常磐会寄宿舎に入り、正岡子規らと俳句や小説に没頭した。明治27年に開戦した日清戦争には看護長として従軍し、新聞「日本」に「従軍日記」を寄せて好評を得た。帰国後新聞「日本」に入社し、社長の陸羯南とともに政治に関心を向けた。大正8年に起きた外相官邸爆破事件に連座し、多年の日記を没収された後、俳句でこれに代え、柳原極堂が主宰する俳誌『鶏頭』に「句日記」を連載、秀吟を残した。遺著に『飄亭句日記』がある。
略歴
| 明治3(1870)年12月14日 |
温泉郡小坂村新場所に生まれる。 |
| 明治18(1885)年 |
松山医学校に入学。 |
| 明治20(1887)年 |
大阪に出る。 |
| 明治22(1889)年 |
東京に遊学。常盤会寄宿舎で正岡子規と知り合い、俳句・小説に没頭。 |
| 明治27(1894)年 |
日清戦争に従軍し、新聞「日本」に「従軍日記」を寄せる。 |
| 明治28(1895)年 |
帰国して、新聞「日本」に入社。 |
| 明治34(1901)年 |
新聞「日本」の編集長となる。 |
| 昭和4(1929)年 |
政教社を主宰し、雑誌『日本及日本人』を刊行。 |
| 昭和12(1937)年6月14日 |
68歳で永眠。墓所は東京都青山墓地。 |
<関連図書>
- 山上次郎『歌人森田義郎と子規・飄亭』 古川書房 1972年
- 和田茂樹『愛媛文化双書36 子規と周辺の人々』 愛媛文化双書刊行会 1983年
- 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 文学』 愛媛県 1984年
- 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 人物』 愛媛県 1989年
(写真提供:松山市立子規記念博物館)
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