愛媛の偉人・賢人の紹介
久世  竜 くぜ りゅう (1908〜1985)

  俳優。殺陣師( たてし ) 東宇和郡中筋村(現西予市野村町)出身。本名は河野幸政。京都の日活に入社し、俳優であるとともに他の人に殺陣をつけることもあった。名優月形竜之介に殺陣をつけたのが縁で久世竜と改名した。やがて、東宝に移り黒澤明監督と出会ってから殺陣師としての才能を発揮していった。資料、文献をしっかり研究したうえでの計算された彼の殺陣は、本当に斬っているように思わせるリアリズムを重視したもので、槍、刀、素手での鮮やかな立ち回りは人々を驚かせた。黒澤、三船コンビの映画にはなくてはならない存在であった。

略歴
明治41(1908)年1月19日 東宇和郡中筋村(現西予市野村町)に生まれる。
大正15(1926)年 牧野省三に師事。
昭和2(1927)年 京都日活に芸名「岬弦太郎」として入社。
昭和7(1932)年 月形竜之介の殺陣をつける。
昭和17(1942)年1月 大映に移籍。
             9月 宮城千賀子劇団に参加。
昭和20(1945)年2月 宮城千賀子劇団を退団。
             4月 東横映画に入社。
昭和27(1952)年 マキノ雅弘監督の「弥太郎笠」封切り。この中で殺陣の指導。
昭和29(1954)年7月 東映を退社。
             9月 東宝に入社。
昭和33(1958)年 黒澤明監督の「隠し砦の三悪人」封切り。この中で槍の殺陣を指導。
昭和34(1959)年 稲垣浩監督の「日本誕生」封切り。出演。
昭和36(1961)年 黒澤監督の「用心棒」封切り。この中で殺陣を指導。
昭和37(1962)年 黒澤監督の「椿三十郎」封切り。この中で剣術指導。
第7回ホワイトブロンズ賞受賞。
稲垣監督の「忠臣蔵」封切り。この中で殺陣を指導。
昭和40(1965)年 黒澤監督の「赤ひげ」封切り。この中で擬闘を指導。
昭和42(1967)年 第11回映画の日永年勤続賞受賞。
昭和50(1975)年 東宝を退社。
昭和59(1984)年 黒澤監督の「乱」撮影中に入院。
昭和60(1985)年1月5日 76歳で永眠。

<関連図書>

  • 『えひめ 人 その風土』 愛媛放送株式会社 1986年
  • 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 人物』 愛媛県 1989年 
  • 永田哲朗『殺陣 チャンバラ映画史』 社会思想社 1993年
  • 阿部嘉典『「映画を愛した二人」 黒澤明 三船敏郎』 報知新聞社 1995年
  • 『日本映画人名事典 男優編<上巻>』 キネマ旬報社 1996年
  • 『芸能人物事典』 日外アソシエーツ編集部 1998年
  • 西村雄一郎『黒澤明を求めて』 キネマ旬報社 2000年
(写真提供:中野圭氏)

愛媛県生涯学習センター:TEL 089-963-2111(内線110)
掲載情報の無断転載を禁じます。