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俳人。松山藩家老。松山城下(現松山市)出身。藩主松平定直に仕えて重責を果たす一方、俳諧を好み、その才能を発揮した。31歳のとき、松山に来ていた因播国鳥取の岡西惟中の門に入り、その後、江戸在勤中に芭蕉・其角に俳諧を学んだ。句は其角の句集にも載せられ、定直の俳友として蕉風俳諧を松山に広めた。後に、子規から伊予未曾有の俳人と評される。また、狩野探雪の画に、芭蕉・其角・素堂の発句の賛(添え書き)を求め、松山に持ち帰った「俳諧三尊画賛」の三幅対は逸品とされ、来遊した一茶も感激の句をしたためている。
略歴
| 承応元(1652)年 |
松山城下(現松山市)に生まれる。 |
| 元禄元(1688)年 |
江戸詰となる。 |
| 元禄3(1690)年 |
其角編『いつを昔』刊行。粛山の句が収められている。 |
| 元禄4(1691)年 |
其角編『雑談集』刊行。跋文(後書き)を寄せる。 |
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この頃、「俳諧三尊画賛」の三幅対を完成させる。 |
| 元禄5(1692)年 |
松山に帰る。 |
| 宝永3(1706)年 |
55歳で病没。 |
<関連図書>
- 景浦勉『伊予俳諧史』 伊予史談会 1958年
- 星加宗一『愛媛文化双書23 伊予の俳諧』 愛媛文化双書刊行会 1975年
- 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 文学』 愛媛県 1984年
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