愛媛の偉人・賢人の紹介
河野 通有 こうの みちあり (1250〜没年不詳)

 鎌倉時代の武将。久米郡石井郷(現松山市)を領有し、縦淵城を本拠とする。元寇時に出陣し、九州の御家人らとともに沿岸防備にあたった。伝えられるところでは、弘安の役で石塁を背にして陣取り、「河野の後築地」と賞賛されるほどの豪胆さで奮戦したといわれる。その勲功により、肥前国神崎荘(現佐賀県)、山崎荘(現松前町)などに恩賞地を受け、かつて承久の変で京方に味方し衰微した河野家の勢力の回復に、大きな役割を果たした。また、西国の海賊の鎮圧にもあたった。

略歴
建長2(1250)年 伊予国の豪族河野通継の子として生まれる。
文永11(1274)年12月30日 蒙古襲来に対応する用意のため伊予へ帰国することを、六波羅探題北条義宗に了承される。
弘安4(1281)年 2度目の蒙古襲来(弘安の役)に備え、筑前国(現福岡県)に出兵し、防備にあたる。
正安2(1300)年 鎮西探題より、肥前国(現佐賀県)の一宮の河上神社の造営を命じられる。
徳治2(1307)年3月25日 六波羅探題より、西国や熊野の海賊の鎮圧を命じられる。
延慶2(1309)年6月29日 幕府より、帰国して伊予国の賊徒を鎮圧するよう命じられる。
応長元(1311)年8月28日 永眠

<関連図書>
  • 伊予史談会『予章記』 伊予史談会 1982年
  • 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 古代U・中世』 愛媛県 1984年
  • 小松茂美『日本の絵巻 13 蒙古襲来絵詞』 中央公論社 1988年
  • 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 人物』 愛媛県 1989年

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