| 慶応3(1867)年1月5日 |
江戸牛込馬場下横町(現東京都)に生まれる。 |
| 慶応4(1868)年 |
塩原家の養子となる。 |
| 明治21(1888)年 |
夏目家に復籍する。第一高等学校本科英文科に入学する。 |
| 明治22(1889)年 |
正岡子規を知る。 |
| 明治23(1890)年9月 |
第一高等中学校本科を卒業、帝国大学文科大学英文科に入学する。 |
| 明治26(1893)年 |
英文科を卒業し、大学院に進学。東京高等師範学校の英語嘱託となる。 |
| 明治28(1895)年4月 |
愛媛県尋常中学校に英語科教師として赴任。 |
| 8月 |
子規が松山に帰り漱石の下宿に住む。 |
| 明治29(1896)年4月 |
熊本の第五高等学校講師として赴任する。同校の教授となる。 |
| 明治33(1900)年 |
イギリスに留学をする(2年間)。 |
| 明治38(1905)年1月 |
「吾輩は猫である」を『ホトトギス』に発表する。 |
| 明治39(1906)年 |
「坊っちゃん」を『ホトトギス』に発表。「草枕」、「二百十日」を発表。 |
| 明治40(1907)年4月 |
朝日新聞社に入社する。「虞美人草」を連載する。 |
| 明治44(1911)年 |
文学博士号を辞退。 |
| 大正5(1916)年4月 |
糖尿病と診断され真鍋嘉一郎の治療を受ける |
| 12月9日 |
胃潰瘍のため50歳で永眠。墓所は、東京都豊島区の雑司ケ谷霊園。 |