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松山城主。三河国幡豆郡永良郷(現愛知県)出身。羽柴(豊臣)秀吉に仕え、賤ケ岳の戦いで七本槍の一人として活躍する。文禄4年、松前城主となり、6万石を領して、伊予に入国する。関ヶ原の戦いで20万石に加増され、藤堂高虎と伊予を二分する。その後、勝山の地に松山城を築城し、城下町の町割を行うとともに、重信川や石手川の改修を行い、内政の充実を図り、領内の発展に力を注いだ。
略歴
| 永禄6(1563)年 |
三河国幡豆郡永良郷に生まれる。 |
| 天正11(1583)年4月 |
賤ケ岳の戦いにおいて一番槍の功名。 |
| 天正14(1586)年11月 |
淡路国(現兵庫県)志智城主となり1万5千石の領地を受ける。 |
| 天正20・文禄元(1592)年 |
朝鮮出兵(文禄の役)に参陣。 |
| 文禄4(1595)年7月21日 |
伊予松前6万石城主となる。 |
| 慶長2(1597)年 |
再度朝鮮出兵(慶長の役)に参陣。 |
| 慶長5(1600)年 |
関ヶ原参陣の後、20万石に加増。 |
| 慶長7(1602)年 |
松山城築城に着手。 |
| 寛永4(1627)年2月 |
会津若松(現福島県)に領地替え。 |
| 寛永8(1631)年9月12日 |
病気のため江戸屋敷において69歳で永眠。江戸麻布善福寺に葬られ、現墓所は京都府東大谷墓地にある。 |
<関連図書>
- 伊予史談会『加藤嘉明公』 松山市役所 1930年
- 松山城編集委員会『松山城』 松山市役所 1970年
- 須田武男『豊臣時代の伊豫領主の史料研究』 愛媛県教育公務員弘済会 1975年
- 鎌田定雄『予州松山城築城異聞』 東道後産業 1981年
- 藩主人名事典編纂委員会『三百藩藩主人名事典第4巻』 新人物往来社 1986年
- 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 近世上』 愛媛県 1986年
- 愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 人物』 愛媛県 1989年
- 徳永真一郎『賤ケ岳七本槍』 PHP研究所 1992年
- 景浦勉『松山藩政史の研究』 関奉仕財団 1994年
- 井上宗和『四国の城と城下町』 愛媛新聞社 1994年
- 『県民メモリアルホール人物探訪 第1集』 愛媛県生涯学習センター 1997年
(肖像画:藤栄神社蔵)
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