| 文政元(1818)年8月1日 |
旗本の山口直勝の次男として生まれる。 |
| 文政12(1829)年4月13日 |
宇和島藩第7代藩主伊達宗紀の養子となる。 |
| 天保15(1844)年7月26日 |
宇和島藩藩主となる。 |
| 嘉永元(1848)年 |
高野長英を招き、蘭書の翻訳や教授などを行わせる。 |
| 嘉永6(1853)年 |
村田蔵六を招き、蘭書の翻訳や教授、軍艦建造などに携わらせる。 |
| 安政4(1857)年 |
将軍継嗣問題が起こり、松平慶永・山内豊信・島津斉彬たちとともに一橋慶喜を推し、和歌山藩主徳川慶福を推す南紀派と翌年まで対立する。 |
| 安政5(1858)年11月23日 |
安政の大獄に関係し、隠居。宗徳に藩主を譲る。 |
| 文久2(1862)年11月 |
京へ上るよう勅命が下る。 |
| 文久2(1862)年12月18日 |
入京。以後、同3年、慶応3年3月、12月と、4度の勅命による上京をし、その間幕政参謀や朝政参与を命じられる。 |
| 慶応3(1867)年 |
新政府の議定となる。以後、明治2年までに、軍事参謀・外国掛・外国事務総督・大阪裁判所副総督・外国官知事・参議・民部卿・大蔵卿を歴任あるいは兼任。 |
| 明治4(1871)年5月 |
清国への欽差全権大臣となり、日清修好条規を締結。 |
| 明治25(1892)年12月20日 |
東京府今戸(現東京都)の自邸で、75歳で永眠。墓所は東京都谷中墓地。遺髪を宇和島市等覚寺に埋葬。 |