
| 序章 装いの文化へのいざない 本章では、装いの文化とは何かを探り、あわせて、本書で紹介する愛媛地域を舞台とした人々の高度経済成長期(昭和30年〔1955年〕〜昭和48年〔1973年〕)ころまでの装いと暮らしについて概観した。 第1章 生業としての装い 昭和30年以降の高度経済成長は、国民の生活文化に多大な変化をもたらした。本章ではその変化の中において、それぞれの地域で生活する人々の生業としての装いを、「紡ぐ」「染める・織る」「仕立てる」「商う」「支える」の項目に分けて、その時代背景や移り変わりをたどり、人々の思いやくらしとのかかわりを探った。 第1節 装いを生み出す 本節では、昭和の初めから高度経済成長が始まるころまでの時期にかけて、県内各地域で「紡ぐ」「染める・織る」ことを生業としていた人びとから、さまざまな取り組みや移り変わりについて聞き取り、人々の思いやくらしとのかかわりを探った。 「1 紡ぐ」では、西予市野村町の養蚕業と製糸業及び西予市城川町の天蚕(ヤママユの別名)飼育と天蚕糸の生産、さらに西条市の富士紡績壬生川工場におけるスフ製造を取り上げ、くらしとのかかわりを探った。 「2 染める・織る」では、松山市和気の絣糸の絞り染めと松山市西垣生町の絣の機織り、さらに今治市のタオル用糸の先晒し先染めとタオル紋織りを取り上げ、くらしとのかかわりを探った。 第2節 装いを商う 本節では「装いを商う」時代背景や県内の移り変わりをたどり、人々の思いや暮らしとのかかわりを探った。 「1 仕立てる」では、喜多郡内子町で洋服の仕立て、西条市と大洲市で和服の仕立てをしてきた人の思いを探り、和服の仕立てに使われる鯨尺(江戸時代にできた裁縫用のものさし)の竹材を出荷する大洲市の業者と大洲の竹を材料として竹ざしを製造してきた滋賀県・香川県の業者に話を聞き、そのくらしや思いを探った。 「2 商う」では、松山市中島町野忽那、西予市宇和町で呉服や既成の洋装品を行商により商ってきた人や今治市、松山市、八幡浜市で店舗を構えて商ってきた人に、商いの様子を聞き、その思いやくらしについて探った。 「3 支える」では、松山市、宇和島市の洋裁などの指導者や松山市の湯のし屋、西条市、南宇和郡愛南町での貸衣装屋や宇和島市、松山市のかけはぎ職人に聞き、それぞれのくらしの様子や思いを探った。 第2章 くらしの中の装い 高度経済成長は、人々の暮らしに大きな変容をもたらし、装いの文化も著しく変化した。 本章では、昭和初期から高度経済成長期ころまでの普段の日と特別な日における装いや、装いの変化とともに形を変えていくかぶり物、履物などの生活用品に焦点を当て、激動の昭和を生き抜いた人たちから、聞き取りながらたどった。 第1節 普段の日に
第2節 特別な日に
第3節 広がる装い 第3章 あのころの装い、そして今 本章では、太平洋戦争をはさんだ昭和10〜20年代における装いと高等学校の制服の変遷に焦点をあて、暮らしとのかかわりを探った。さらに、近年の多様化する装いについて概観した。 「1 カーキ色のころ」では、戦前から戦後にかけての窮乏期の社会における人びとの暮らしと装いを世相とのかかわりから探った。 「2 あのころの制服」では、旧制中学校、女学校、商業学校から新制高等学校になった県立学校と旧制女学校から新制高等学校になった松山市内の私立学校を取り上げ、発足時から昭和30年代までの制服を探った。 「3 多様化する装い」では、近年の高等学校の制服事情と昨今の多様化する装いを世相とのかかわりから概観した。 |
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