柳原極堂は、愛媛県を代表する俳人として功績を残すとともに、地方自治の振興と産業の発展に尽くした地方政治家でもあり、新聞記者として、また新聞社の経営者として教育文化の振興に寄与した新聞人でもありました。しかし、その生涯の大半は、正岡子規の「文友」として、また一人の弟子として子規の研究と顕彰に捧げられ、その極堂の敬愛の心が郷土松山における子規の地位を不動のものとしました。
「吾生ハ へちまのつるの 行き處」
子規顕彰を叫び続けた極堂が、亡くなる六日前に詠んだ辞世句には、どこまでも純粋に子規をたどり続け、最終的に「人間 正岡子規」の真髄を見いだす、そのような極堂の生き様が如実に表れているのではないでしょうか。
この度の展示会では、そのような柳原極堂の俳人としての、また子規の顕彰者としての業績を見つめ直します。また同時に、父親や祖父としての家庭の中の極堂の姿を、平成22年度に極堂の曾孫にあたる御親族様から寄贈いただいた未公開資料を用いて紹介いたします。本展示会を御覧になった皆様が、地位や名誉を求めることなく「清貧」に安んじ、ただひたむきに生きた一人の人間「柳原極堂」に関心を持っていただければ幸いです。
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| 扇面句「手のひらにいたゝく春の光かな」 |
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| 色紙「吾生ハへちまのつるの行き処」(複製) |
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| 写真「極堂と長男正春」 |
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| 書軸「春風やふね伊豫に寄りて道後の湯」 |
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